楯築遺跡復元プロジェクト
「 楯築ルネッサンス 」
〒700-0822 岡山市北区表町3-9-30
楯築遺跡の航空写真です。
円丘部の下に何か丸い物が見えます。
残念なことに、この大切な遺跡の上には、団地の給水塔が建っています。
開発優先の時代の悲しい出来事です。
双方部も削り取られています。
これは何とかしないといけませんね。
日本一の弥生墳丘墓をこのまましておいて良いわけがありません。
一日も早く復元して、多くの方が訪れても恥ずかしくないように整備しないといけません。
行政を動かすには、多くの方々の賛同が必要です。
ここを整備することで、岡山にまた観光の目玉が増えるのです。
双方中円墳が前方後円墳へ
双方中円墳から纏向型前方後円墳へ変化して行く。撥型やホタテ貝型を経て、綺麗な箸墓型巨大前方後円墳が完成して行った。
特殊器台が埴輪へ
吉備から、約100器の特殊器台が出土しているが、宮山型は1箇所のみである。
天理市中山大塚古墳と橿原市弁天塚古墳からは、宮山型特殊器台が出土しており、纏向の箸墓古墳と天理市西殿塚古墳から宮山型特殊器台と都月型円筒埴輪が
出土している。
吉備から畿内へと遷都して行ったのであろう。
今も残る弧帯文
弧帯文石に描かれた文様の中の特徴的な巴形は、台湾に伝わる祭祀具のイモガイの断面模様だともされる。
特殊器台に直接文様が描かれるようになり、その後また簡略化される。
纏向からは、木製の弧文円盤が出土しており、その神聖なる文様は、神に通ずる儀式の中で脈々と受け継がれて行く。
現代でも、水引や門松、しめ縄などの神聖な場所に名残を残している。
また、天皇家に伝承される大嘗祭における百子帳の屋根には、南方系の植物を使用するとか . . .