古代吉備王国は、纏向へ都を移した。


30ヶ国からなる連邦国家は、纏向を新しい都と定めた。

日本初の統一王となった女王卑弥呼は、纏向でも特殊器台と桃を使った祭祀を行った。

東海から北陸から出雲から多くの人々が集まった。

吉備は墳丘の形や葬祭儀礼を持ち込み纏向の中心を担った。

そして畿内から銅鐸が消えた。

いわゆる宗教革命である。

箸墓古墳

纏向の箸墓古墳(280m)と天理市西殿塚古墳(219m)から宮山型特殊器台と都月型円筒埴輪が出土しており、どちらも200m超の巨大前方後円墳であることから、3世紀の中期頃と推測される。

 

天理市中山大塚古墳(120m)と橿原市弁天塚古墳(100m)からは、宮山型特殊器台が出土している。

前方部が撥型で最古の前方後円墳と目され、ともに100m超で230年頃の築造か?

 

さらに纏向石塚古墳(96m)からは、弧文円盤や吉備の祭祀用遺物が出土している。

また桜井市のホケノ山古墳(80m)はホタテ型前方後円墳で、弥生墳丘墓との見方もある。

ここの埋葬部は水銀朱で覆われていた。

これら100m以内で楯築弥生墳丘墓よりも少しだけ大きいことからも210年前後の築造か?

 

この頃には既に、吉備の影響が色濃く映し出されている。