第一部 各プロジェクトの報告など
1、講演「中学生が語る古墳の魅力」 古墳めぐりすと はにおくん(板東郁仁)
こんにちは。はにおこと板東郁仁です。今日はよろしくお願いします。
今回は、「はにおが語る古墳の魅力」と題して、吉備の古墳の保存活用について話したいと思います。まず自己紹介をします。はにおこと板東郁仁です。
趣味は古墳巡り、古墳活動、墳活です。おすすめの古墳は牟佐大塚古墳で、大好きな古墳は神宮寺山古墳です。古墳は全国に16万基あって、いつまで墳活を続けても、駆け出しのままです。古墳にはまったきっかけは、サイクリングをしているときに、たまたま神宮寺山古墳という看板を見つけて、それで立ち寄ってみたことから始まりました。それから古墳が身近にあることを知り、古墳ってすごいなと思って、それから巡るようになりました。
また、今年の5月に「岡山100名墳」を出版しました。この本は、自分が巡った岡山の古墳、古墳群を100基まとめて紹介したガイドブックです。多くの人たちに楽しんでもらうために、様々なジャンルの古墳をピックアップしました。では、ここから古墳について話していきたいと思います。
古墳とは、古墳時代以降に築かれた権力者のお墓です。古墳には様々な形があって、前方後円墳がとても有名です。前方後円墳は大和との関係が深い人だけに築造が許された特別な形だと言われています。実際は円墳が一番多い形になっています。この図を見てほしいんですけど、濃い色で示しているものが岡山で見られる古墳の形です。こう思うと、岡山だけでも、いろんな形の古墳を見ることができます。古墳は古代人が伝えてくれたタイムカプセルだと思っています。古墳を見れば古代のことがわかります。古代のことを知る鍵は古墳にあると思っています。
古墳を知ることは古代の人々の葬送儀礼について知ることに繋がり、それは古代の人々の価値観や文化について学ぶことに繋がります。今回の楯築ルネッサンスのテーマとなっている「三都」ですが、大和、出雲、吉備のことです。大和は当時の日本の中心地として栄えていて、出雲は様々な文化が花開いた場所だと思っていて、吉備はここ岡山で大和と肩を組んで、とても強い勢力を持っていた国だと思っています。では、吉備の古墳について話していきたいと思います。
吉備には1万1880基の古墳があります。これは全国で5番目の多さで、岡山県民でもこの多さはあまり知らないかなと思っています。岡山は晴れの国として、温暖な気候で地震などの災害も少ないですが、それは今も昔も変わりません。だから、古代から岡山はとても過ごしやすい気候で、争いよりも古墳作りや土器作りなどに時間を費やしていた国だというふうに言われています。だから、古墳の数も質も素晴らしいんです。岡山、吉備が古墳時代の文化の基礎を作ったと言っても過言ではないと思っています。
古墳時代で一番最初に作られた古墳は、奈良県桜井市の箸墓古墳というふうに言われています。箸墓古墳の被葬者は倭迹迹日百襲姫命というふうに言われていますが、卑弥呼の墓という説もあります。箸墓古墳から出土している土器があります。この土器は吉備から来た土器なんです。この土器を特殊器台といいます。この特殊器台は宮山型特殊器台と言って、この宮山っていうのは総社市の宮山墳墓群が名前の由来になっています。特殊器台っていうのは、当時の被葬者を葬るための儀式に使っていた器を載せるための台です。これは吉備発祥のもので、後の円筒埴輪の原型になったものだというふうに言われています。大和だけじゃなくて、出雲とも吉備は交流していました。これは出雲から出土した吉備から来た土器です。これが出土したのは、出雲で四隅突出型墳丘墓で有名な西谷墳墓群の西谷2号墓です。
大和と吉備、吉備と出雲、様々な国と交流していた吉備は、とても大きな勢力があり、様々なことを広めて影響力がある国だったというふうに考えられます。また、吉備のすごいところとして楯築遺跡が挙げられます。
楯築遺跡は、当時弥生時代の墳丘墓として最大のものです。楯築遺跡は双方中円形という形をしているのですが、これは前方後円墳の元になった形だというふうに言われています。全国に先駆けて古墳を古墳のルーツを作っていた岡山はとてもすごいです。
楯築遺跡から旋帯文石と呼ばれる石が出土しています。この石に刻まれている旋帯文という文様は、大和でも同じような文様が使われていて、大和でも弧紋円板と呼ばれる木製品にこれと同じような文様が書かれていました。また楯築遺跡の埋蔵施設として、木棺木槨というのがあるんですけど、そこから水銀朱が出土しています。これは日本からではなく、海外、中国とかから来たものだっていうふうに言われています。だから楯築遺跡に葬られている人は、日本だけじゃなくって、他の国にも影響を与えていたとてもすごい人なんだということがわかります。
ここからは吉備の古墳について紹介していきます。登れる古墳としては全国最大の造山古墳です。造山古墳は全長350mで全国第4位、登れる古墳としては全国一位です。吉備の大首長が眠っている墓とされていますが、その内部は解明されておらず、謎が多い古墳です。現在岡山市によって復元整備も進められていて、今後も期待の吉備で熱い古墳です。
また、造山古墳の親族が埋葬されている陪塚と呼ばれる古墳の一つ、千足装飾古墳も現在とても注目されています。今年、復元整備が完了し、オープンしました。この古墳には、埴輪が並べられていて墳丘も綺麗に整備されています。古墳の中からは、天草砂岩に刻まれた直弧文と呼ばれる、北部九州でよく刻まれている文様が出土しています。
また、こうもり塚古墳は全国で3番目に長い横穴式石室を持ちます。この石室の長さは19.9m、奈良県明日香村の蘇我馬子のこの墓とされている石舞台古墳よりも長いんです。そして、こうもり塚古墳の玄室には、吉備のブランド石材、浪形石の石棺もあります。また、岡山県内で初めて出土した陶管も、ありました。
そしてこうもり塚古墳は古代山陽道を意識した古墳の形になっていて、吉備で最後の大型前方後円墳となっています。これらの紹介した古墳は明日の歴史ウォークでも行くところなので、ぜひ注目してください。では、ここからは吉備の古墳の課題について考えていきます。
そのために、畿内の古墳と比較してみましょう。畿内は大和の地域です。畿内は吉備との繋がりも大きくって、当時、日本のとても大きな勢力でした。しかし現在吉備とは、古墳の状況っていうのはかなり異なっています。
畿内の古墳の魅力と課題をピックアップしました。畿内の古墳の魅力といえば、もう何と言っても、百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されていることだと思います。だから世界の多くの人にも、畿内の古墳は注目されています。
また交通のアクセスが良かったり、古墳が整備されている博物館なども充実していることが挙げられます。しかし課題としては、天皇陵の古墳が多いため、古墳に入ったりすることが難しく、また行政による管理も行き届いているため、適切に鍵がかかっていたりして、あんまり古墳に近寄れないことが多いという印象を受けます。
これに対して吉備の古墳は、吉備には天皇陵があまりありません。だから、古墳に入ったり登ったりすることがとてもたくさんできて面白いです。また、吉備の古墳はとても質が良く、全国で登れる古墳としては一番大きい造山古墳や全国で3番目に長い石室のこうもり塚古墳にも入ることができます。
吉備の古墳の魅力と課題です。石室に入ったり、古墳に登ったりしやすい、古墳マニアが多い。古墳にはまった人であれば、どんどん深くまで楽しんで行けるなどが魅力です。しかし、古墳のアクセスが悪い、整備されていない古墳が多い、博物館が少ないなどが課題として挙げられると思います。吉備の古墳の活性化に向けて、今も昔も変わらない吉備の気候がとても豊かな古墳の築造を支えていました。
だから、吉備の古墳は学術的な価値もとても高いです。吉備の古墳が今、忘れ去られてしまうのはとてももったいないことだと思います。だから、吉備の古墳を活用して、保存していくべきだと思います。この下の写真は、岡山で復元がされた2基の古墳です。
千足装飾古墳と大谷1号墳で、現在多くの人が訪れやすくなっていて注目を浴びています。では、吉備の古墳はこれからどうしていくべきかというと、僕は古代と現代の共存が必要だと考えています。吉備の古墳はあんまりみんなに知られていないので、吉備の古墳の魅力を発信し、そして、古墳の魅力を活用して保存していくっていうサイクルが必要だと思っています。
吉備の古墳に今必要なのは、魅力的な古墳の整備と古墳の魅力発信を支える基盤となる博物館だと思っています。これからも吉備の古墳の魅力を発信していくためには、皆さんの力が必要です。
では最後に、吉備には学術的な価値が高い古墳を身近に見ることができ、でもその魅力はあまり知られていません。だから古墳で街おこしをしている畿内と比較すると、石室に入ったり、墳丘に登ったりできる古墳は多い一方で、あまり古墳の整備や発信の基盤ができていないという課題が浮き彫りになりました。だから、古墳を後世に伝えていくためには、古墳を楽しみ、魅力を発信し、古墳を活用して、保存するということが大切になると思います。
吉備の古墳を未来に残すためには皆さんの力が必要です。だから、皆さんにも古墳の魅力を発信し、これからの吉備の古墳の未来を明るいものにしていけるよう協力してもらいたいと思っています。これで発表を終わります。
ご清聴ありがとうございました。
2、吉備特殊器台復刻モニュメント計画 森和彦
只今ご紹介にあずかりました、森和彦と申します。パワポの準備はよろしいでしょうか?はい。私本業は備前焼作家をしております。今から10年前、特殊器台を復刻しようというプロジェクトが始まりまして、その中のメンバーとして初参加させていただいてからはやもう10年経ちました。あっという間の10年でしたけど、その中でいろんな事をいろんな先生方も含め、いろんな古代史ファンの方々からご教示をいただきながら、こんにちまで制作を続けさせていただいております。よろしくお願いいたします。それでは画像を見ながら進めさせていただきたいと思います。
これが今から7年前、8年前ですね、岡山県立博物館に展示させていただいた特殊器台です。真ん中にありますのが向木見型、今回先ほど
、近重さんからご紹介のあった、この表のページにあります一番左手、向木見型が真ん中にきております。でこれは、新見の西江遺跡というところから発掘されたものです。でその横に楯築の立坂型がございます。同じものが実は同じものと言ってもこれよりちょっとサイズが小さくなるんですけど、表に皆さん入ってこられるときに見ていただいたと思うんですけど、出雲西谷墳丘墓の方から発掘されました特殊器台、それも立坂型になっております。そしてこのページのこの横のこれからまたどんどん行きましょう。はい、まずは自己紹介。えーとっ私、大学時代彫刻をやっておりまして、鋳造から木彫あと、鉄の溶接からいろんなことをさせていただいております。普段は器とかを作っておるんですけどこういったちょっとアート作品も作っておりまして、「アートの今」これも今から10年前、発表させて頂いた作品ですけど、こういうものも作っております。今まで作った器台の数とかもちょっと載せさせていただいきました。
これからちょっと器台のまず土堀、当時と同じ製法ということで当時と同じ土を使うということで、この吉備の某所から土を掘らせていただきました、300キロを。次に行きます。進み過ぎました。はい、土を掘った部分を乾燥させて砕いて、そしてふるいにかけて水でこうしてやっと粘土という形になっていきます。結構時間がかかる作業になります。土踏み、「アースデイ」というイベントで、RSKバラ園の方ですけど、ここは上東遺跡という遺跡があって、昔の船着場とかがあったらしいんですけど、そこで土踏みをやりまして、この子供たちにも土を踏んで、その感触を味わっていただいた時のものです。この土を使っていよいよ製作に入ります
プロジェクトこれも2013年です。このとき作ったメンバー備前焼作家の皆さん、勢ぞろいしていただいた写真です。最初ミニチュア制作から、ミニチュア制作をしまして、まずこういった形のものをどうやったら焼けるだろうかと、最初は開放型野焼きという焼き方、これ縄文土器の焼き方なんですけど、をして焼いた様子です。
今度大型のを作りました。輪積みにしていく様子がわかりますでしょうか。1段ごと積んでいって作品を積み上げていって大きいものを作って、最後ベンガラを混ぜた胎土を表面に塗って、これを我々、丹(に)と呼んでますけども表面に塗っていますこの丹を塗った後に、この弧帯文、これ宮山型線刻なんですけど、彫っていきます。
あとで、この後透かし、下に図面が見えてますけど透かしを入れて完成となります。乾燥させた後に焼成します。最初に入れたのは、まっぷたつに割れました。もうこれはなかなか本当に焼くのが大変で、これは密閉型野焼きというやり方をしたんですけど、上に生草をかけて湿った物を被せることで中の保温力を保って、中には乾いた乾燥したわらを詰めて焼きます。
そうすると焼き上がるわけですけど、その寝かして焼くか立てて焼くかで我々も議論がありまして、立てて焼いたときもあるんですけどこのときは寝かして焼きました。それは黒斑というものが側面に見えるんですけど、それから寝かしたであろうということがわかるので寝かして焼いたんですけど、割れました。割れずにどうしたらいいのかというのを我々また研究するわけです。
これは向木見型を作ったときの糸目と呼ばれる我々の工芸の世界では糸目と呼んでるんですけど、考古学の世界では、櫛書き沈線文と言われておられます。へらを横に当てて回すことで、ずっと糸のような線がついていきます。
これ、これが立坂型を作っていくという様子です。これも段ごとで作って、かなり難しいあの線刻の細かい模様が入っております。であの、一番下のところにこう線刻を入れてる様子が見えると思うんですけど、押してこうなるべくバリが出ないような線の入れ方をしておりますね。
でこう器台が出来上がって、製造した写真です。このときに、これは、備中国分寺のある駐車場で野焼きをしたときにやってたんですけど、あの用意したわらがあれだけ結構な数の藁だと思います。まず床を焼いて湿気を飛ばしてから、その藁を敷いていきます。
はい、これが焼いている様子、準備している様子なんですけど、わらを敷いた上に、まず器台を載せて、寝かして焼いてるぶんと立てて焼いてるものとあります。さらに木を横にしまして、さらに乾いたわらを乗っけてから湿った藁を上にかぶせて蒸し焼き状態、簡易的な窯のような状態を作って焼きました。
これが焼成している様子です。最初、白い煙がもくもくと立って、やがてその火が落ち着いて、この中から覗いて見えるようになってきます。で焼けましたということで記念撮影、備中国分寺の事務所も写っております。こういうイベントもはや10年前にさせていただいておりました。
まだまだ謎の部分は結構多いんですが、何とか形にすることができたかなというところであります。その後、楯築サロンというのが立ち上がりまして、代表がこの後登壇される岡将男さん。「吉備邪馬台国東遷説」という素晴らしい本を書かれておられます。その楯築サロンのメンバーとともに作ってこの器台に、そこに展示しておりますけどあれは最初に作った器台ですが、2本目に作った器台を出雲まで届けました。
そのときの様子です。はい。横に写っていますタテッキーというのはかわいらしいマスコットみたいなキャラクターなんですけど、それも線刻で掘られたあの模様が残ってましてそれを立体化したマスコットキャラを作ってみました。
これ贈呈式ですね。はい。これ1個前だったか、そうそうこれ焼いたときにそれをね、はい。これ楯築サロンで焼いた立坂型なんですが、これはね焼いた後ちょっと強度が足らずにもろくも崩れてしまって今はないんですけど、幻の器台となってしまいました。確かにでもやっぱり素晴らしく形も美しいと吉備を代表する本当に楯築を代表する器台だと思います。
はい、ありがとうございました。ちょうど時間となってしまいましたのでもうそろそろ終わらせて頂きます。さっきのもう少しねこの一番左にある器台だけちょっと説明をして、これあの焼いた時の様子です。はい。
ご清聴ありがとうございました。
3、デジタル紙芝居「楯築のヒメのお話」
動画制作担当 笠井宏明
4、古代衣装ツアー計画 長緒鬼無里
先ほどご紹介にあずかりました長緒鬼無里と申します。どうぞ短い時間ではありますけれども、ご清聴いただければありがたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
私、創作家と名乗っておりまして、多分ご存知のない方が多いかと思いますけれども、実は既に皆さんの懐に入らせていただいております。何かと言いましたら、お手元のパンフレットや紙のファイル、こちらのイラストは私が描かせていただいております。こんな形でイラストレーターもしつつ、小説も書いております。その上で古代衣装を作っておりまして、それを今回は皆様にお披露目させていただくために、吉備に来させていただきました。
活動内容に一貫性がないようによく思われるんですけれども、私の中では実は一つでありまして、それらに共通することが、体験するということなんですね。古代の世界ってなかなか体験ってできないですよね。
そういうときに、小説の中で自分が主人公や登場人物になりきって疑似体験をするとか、イラストで当時の姿を再現するとかですね。そしてこの古代衣装もそうですね。古代の人の衣装をイメージしたものを着ることによって、当時の雰囲気を味わうというのを、私はすごく求めて、これまできました。今回はそのような活動を気に入っていただき、お声がけをいただきまして、今回こういう場を設けていただきました。
こちらの方を見ていただいたらわかるかと思うんですけれども、私にとっては吉備というのは、もう本当に岡山全体がテーマパークみたいなものなんですね。古墳もありますし、遺跡もたくさんありますし、弧帯文とか魅力的な文様もあります。
あと、こちらの倉敷には倉敷デニムがありますよね。そういう藍染とかですね。あと吹屋にはベンガラ染めというものがあるんですけれども、あれも古代から使われていた染色方法ですので、そういう古代の遺跡や技術がたくさん集まっているところがこの岡山だと思っているんです。
そんな岡山で、あと何かを求めるとするなら、古代世界に没入するっていうことをさせていただきたいなっていうのが、私個人的にはありまして、その一つがこの衣装ですね。
こちらのスライドにあるように、衣・食・住という三つに分けてご提案させていただこうと思うんですけれども、衣の方が、すでにご覧いただいているこの衣装ですね。今日も、ステージにいる皆様に古代衣装を着ていただきましたけれども、着付けしている間も本当に皆さん楽しそうに、嬉しそうにはしゃいでいらしたので、皆さん、多分こういう衣装を着るとテンションが上がられると思うんです。ですから造山古墳など古墳に登って、そこで写真を撮るとかですね。そういう風なツアーを組めたらいいのではないかなと思っております。
その次の食ですね。食の方は先ほど森さんのお話にもありましたけれども、やはり岡山は土師氏の里、土器の里でもございますので、古代の土器に盛られたお料理が食べられたり、古代の食べ物が再現されたようなレストランがあればいいなとか、そういうふうなことを考えたりしております。もちろん、お土産のおやつとしても、ぜひ古代のものを取り入れていただけたらなと思っております。
最後に、住ですね、住の方もですね、例えば岡山県内でいくつか調べさせていただきましたら、古代の建物が再現されているところがちょこちょこあるようですので、そういうところで当時の住んでいらっしゃった方たちの体験をするとかですね、火起こしからして食べ物を作ってみるとか、そういうこともできたら面白いんじゃないかなと思っております。
結構早口で喋っちゃって時間が余りそうなので、ここからは好きにお話をさせていただこうと思うんですけれども。私本当に古代が好きで、古代が好きすぎてですね、この次にお話されます禰宜田先生が館長を務めていらっしゃる和泉市の弥生博物館というところがあるんですけれども、そちらの方でお仕事をさせていただいたことがあるくらい古代が大好きで。残念ながらその頃には禰宜田館長さんはいらっしゃらなかったので、同じ場にはいなかったんですけれども。
今客席で、禰宜田先生が提示してくださっていますけれども、弥生博物館の方で卑弥呼の衣装を着て写真を撮れるんですね。その衣装を着た時の写真を、お配りしている地図の方に、飾らせていただいております。
ここまで拙いお話で申し訳なかったですけれども、もしもこのような活動に賛同いただきまして、衣装を揃えてみたいなとか、どういうデザインのものが考えられるかなというふうなご相談がございましたら、お気軽にお声掛けいただけたらいくらでもご相談にのらさせていただこうと思います。
どうも今日はありがとうございました。ご清聴ありがとうございます。