2023年11月25日に倉敷アイビースクエアで開催されましたフォーラムの模様をテキストでお伝えするページです
代表ならびにご来賓のご挨拶
1 槇野博史代表挨拶
皆さんこんにちは。ようこそ今日は倉敷にお越しをいただきましてありがとうございます。先ほどご紹介いただきましたように、私は楯築ルネッサンス代表の槇野博史と申します。本日は会場に溢れんばかりの多数の方々にお越しをいただきまして誠にありがとうございます。
公務の大変お忙しい中、本日は文化庁から課長様の田中様の方がお越しをいただいて、この後ご挨拶をいただけるということで、よろしくお願いいたします。また最初に一つお断りをしていかないといけないのは第3部のパネルディスカッションのコーディネーターを務めていただく予定の松木武彦先生が急遽、どうしても来られないということで誠に申し訳ございません。こちらの方は岡将男さんの方にコーディネーターをしていただくということになっておりますので、よろしくお願いいたします。
さて皆様方、記憶に新しいと思いますけども、今年の1月に初めてこのフォーラムを岡山大学の方で開催をさせていただきました。そのときは先ほど少し名前が出ましたけれども、松木武彦先生の方からこの楯築帥升説というのを、お話をいただきました。また楯築が誇る弧帯文であるとか、特殊器台であるとか、そういった学術的な考証もそこでございました。
さらに本日も、この後お越しいただく伊東香織倉敷市長が懸案であった楯築遺跡の給水塔を除去するという宣言を高々にしていただいて非常に盛り上がった会でございました。本日は大阪府弥生文化博物館の禰冝田佳男先生の方に基調講演を伺う予定になっております。
また、その他にも多くの論客の方々にもお越しをいただいております。それから私は嬉しいですけども、逢沢先生おられますが私も後輩が今日登壇してくれる、岡大附属中学校の古墳が大好きなはにおくんに、今日でていただけるということで大変楽しみにしております。
そういったことで楯築遺跡の歴史的な意義をしっかり考えて、吉備の国から日本世界に新たな価値を創造していきたいというふうに思っておりますので、皆様方のご支援、そして本日のフォーラムをよろしくお願いいたします。
2 来賓挨拶 文化庁文化財第二課 課長 田中禎彦 様
はい、皆様こんにちは、今紹介にあずかりました文化庁文化財第二課長の田中でございます。文化財第二課っていうのは、史跡名勝天然記念物を中心とした記念物と、建造物を所管する課でございまして、私自身は元々は建造物の文化財調査官として、歴史的建造物の保存活用なんかに励んできたわけでございます。倉敷といえば、美観地区に代表されるような美しい町並みですとか、ここアイビースクエアのように、レンガ造りのそういう工場をホテルに活用するっていう、今では割とありふれたコンバージョン転用の仕方になってきましたけれども、それの画期となるような仕事がここアイビースクエアであるということで、「倉敷はそっちじゃないの?」っていうふうなことを思ったわけでございますけれども、この楯築ルネッサンスフォーラムに来て、ご挨拶をするっていうことに当たって、私どもの課の専門家、うちの課にはですね私の様に建造物以外にも、史跡や埋蔵文化財の専門家、文化財調査官がいて、この後ご講演される禰冝田先生もですね、私どものOBなわけです。その中でも、古墳に関する若手の研究者である文化財調査官に聞きましたところ、「課長何言っているのですか」と「ここ吉備の国は、古墳の宝庫ですよ」と。「前方後円墳では全国で10指に入るような、大きな古墳が二つもあるし、そしてこの楯築遺跡については、弥生時代の大型墳丘墓なんだけれども、それが後の古墳時代に繋がっていく結節点となるような、すごい重要な遺跡があるのですよ。ちょっと勉強してください」っていうことを言われたわけでございます。要するに楯築遺跡はこの後、専門の先生からもお話があるのだと思いますけれども、弥生時代後期に作られた大型墳丘墓で、墓として大変著名な遺跡なんだけれども、全国的に見てこれが最大級であるばかりでなく、古墳時代の日本を象徴する前方後円墳がどのように成立したのか。すなわち古墳時代がどのように成立したのか、この問題を解明する重要な極めて重要な遺跡だということだということです。
改めまして、この時代に対して非学の私が理解したところによりますと、楯築遺跡の特徴として、繰り返しになりますが弥生時代のものとしては全国最大級の墳丘である直径約40mの主丘からなり、そして、それぞれ方形の突出部を持っており、推定の全長も80mにも及ぶと。主丘に方形の突出物を持つ形態が、やはり後の前方後円墳に繋がるものでありますし、墳丘に立て並べられました埴輪の起源と言えるような特殊器台型土器、こういったものが埋設されている。さらに、突出部の裾には列席が確認されており、これは前方後円墳の葺石に繋がっていくものだということで、古墳時代を象徴する存在である前方後円墳の成立を考える上で大変貴重な遺跡だということだということを学びました。
私はこの話を聞いて本当に楯築遺跡が、弥生時代の墳丘墓から古墳時代の前方後円に至るそのミッシングリンクを繋ぐ、いわば恐竜が鳥になっていた始祖鳥のような、そういう存在なのかなというふうに、非常に浅はかなアイデアですけど、思った次第でございます。
一方この楯築遺跡については、古墳に見られる特徴以外に、ユニークな要素があるということでございます。私が楯築遺跡で目を引いたのが、頂部ですね。墳頂部に立石が環状に並ぶ。北海道とか、北東北にも環状列石ってございますよね。それとまた形態が全然違う。これ何のためにそういうふうな形がされているのか、これはここにしかないということでして、様々な興味・想像力が引き立てられるような遺跡だというふうなことを認識いたしました。このように、にわか勉強の私でさえ、大変重要な遺跡であることが重々理解できたわけでございます。
本日は専門の先生方から、最新の研究成果を踏まえた知見がご披露されることになるかと思っております。こういった研究成果を、地域の皆様、こんなにたくさんの皆様と共有することは、この楯築遺跡の保存活用に極めて重要なことと考えています。
蛇足になりますが、ちょっとここで紹介しておきたかったことが一つあって、最近ですね文化庁では、「遺跡へ行こう」というYouTubeの番組を作っております。「遺跡へ行こう」で、その中で吉備路の遺跡っていうのを取り上げてございまして、当地域に伝わっている温羅伝説にも触れています。したがって言えば温羅伝説に登場する楯築遺跡についても触れておるわけなんですが、この温羅伝説では調査官手作りのアニメで紹介したりしておりますので、ぜひYouTubeで、「文化庁」「遺跡に行こう」「吉備路」とかいうキーワードで検索していただいて、ご覧なっていただければというふうに思ってございます。
最後になりますけれども、現在楯築遺跡につきましては、保存活用計画を策定されているというふうに聞いております。おそらく、その中には遺跡の特徴や価値を端的に表す本質的な価値が謳われることになると思います。また懸案となっている南側の突出部にある給水塔、これ先ほどお話ありましたが、市長様の方が、撤去をするというような宣言をされたということで、これも保存活用計画の中できちんとうたわれていくことになろうかというふうに感じております。
こういった史跡整備を進めていくことによって遺跡本来の姿を、皆さんに見ていただくということが大変重要な取り組みというふうに考えております。文化庁といたしましても、最大限協力をさせていただければというふうに思ってございます。
長年続けられてきました地域の方々による遺跡を守る取り組みと、現在計画が進められている行政の取り組み。これが一体となってですね、このような民間と行政が盛り上がって、やがて楯築方式というか、倉敷ムーブメントというか、そういった形で全国へ広がっていくことを文化庁としても期待しておるところでございます。
繰り返しなりますけども本フォーラムを通じまして、楯築遺跡の価値や魅力が、倉敷市のみならず全国へと広まり、一層の保護と活用が進むことを祈念いたしまして、私のご挨拶とさせていただきます。どうぞ、どうもありがとうございました。
【文化庁発】遺跡から地域の魅力を発掘!「いせきへ行こう!」vol.25
吉備の伝説は史実を語る?~岡山県吉備路編〜
3 来賓挨拶 衆議院議員 逢沢一郎 様
皆様こんにちは。今紹介いただきました衆議院議員を務めています、逢沢一郎です。今日は楯築ルネッサンスフォーラム2023の秋バージョン古代三都物語というのを開催、本当に嬉しく思います。心からお祝いを申し上げます。
冒頭槇野学長、槇野先生からご挨拶をいただきましたけれども、楯築ルネッサンス協議会を初め、関係の皆様の今日までの努力に、心から感謝を申し上げたいと思います。最近この吉備の歴史、吉備の文化に急速に関心が高まってきたことを肌で感じますよね。これはもう、地元岡山だけではなくて全国からそういう声が寄せられる、岡山県民の1人として本当に嬉しい思いでいっぱいでございます。「三都物語」ということでありますが、直近のこの勢いといいますかね、動きからいたしますと、これも出雲や大和にしっかりもう肩を並べる、肩を並べるというよりも関心のその度合いからすると、今うちがNo.1になりつつあるんじゃないかな。ちょっと身内の身贔屓がすぎるかもしれませんけれども、私はそう感じられてならないわけでございます。楯築遺跡の歴史を通じて、あるいは研究を通じて、古代の吉備の歴史に、ロマンに迫ることができる。もうそれだけでも何かわくわくドキドキするようなそんな気持ちでいっぱいです。
これだけのこの動きをですね、これはもう先ほど田中課長にご挨拶いただきましたけれども、岡山だけの動きにとどめるわけにはいかない。少なくとも、文化庁の皆さんにはしっかり認識をしていただいて我々とスクラム組んで頑張っていただく必要があるというふうに思って、文化庁もね、本体はもう東京じゃなくて京都に引っ越してきた、岡山に近くになったわけですから、これはもうあんた土曜日ちょっと岡山まで倉敷まで責任者に来てもらわなきゃということで特別にお願いをいたしました。課長本当にありがとうございました。再々おいでをいただきますように、いずれは文化庁の次長や長官を連れて来ていただくということを、お願いをしておきたいというふうに思います。
学長からお話があったように、倉敷市長もまた議会も、今私山陽新聞の11月9日付のコピーがございますけれどもね、これはもう給水塔は除去して保存計画をちゃんと作ろう、こういう宣言をしていただいた。一方すぐ向こうの岡山市も、今日大森市長も来られるんだろうと思いますけれども、千足古墳あるいは造山古墳、これも本格的に文化庁のご支援をいただいておりますけれども、岡山市教育委員会も頑張って整備を進めております。この吉備地域一帯の整備を進め、また研究を深めていく。その先に、吉備の国国立博物館の構想が目に見えてくると、そんな思いがいたしますが、そういう夢も語りながら、しっかり勉強を重ねてまいりたいと思います。学長にとって私にとって大切な、岡大付属中学校の後輩、はにおくんがね、今日も来てくださっています。中学生の中ではもう全国No.1の古墳研究家歴史研究家ですね。はにおくんの発表も楽しみにしてまいりましょう。それでは、今日のフォーラムの大成功心から祈念を申し上げまして、歴史大好き逢沢一郎のご挨拶とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。おめでとうございます。