楯築遺跡復元プロジェクト
「 楯築ルネッサンス 」
〒700-0822 岡山市北区表町3-9-30

名誉代表挨拶
十年余り前、岡山の古墳をたずね回っていた時、倉敷の楯築を訪れました。
遺跡の坂をゆっくりと上って行きますと古の丘にランボーが来たかと見紛う様な近代的な装置が鎮座している姿に直面し、一歩を踏み出すことが出来ませんでした。
夕の薄明りの中、我に返った私はやっとのことで墳丘墓を拝見いたしました。帰りにあの不敵に笑う巨大兵器の横を脱兎のごとく逃げ帰りました。
その日以来、ここをこのままにしておいてはならないという考えを持ち続けておりました。
最近になり随分多く方々が同様な考えを持たれていることを知り、この度ささやかな動きから始めてゆこうと集まりました。
私たちがどこまでできるかは未定ですが、出来うる限り努力を続けて参りたいと念じる次第でございます。

代表挨拶
楯築遺跡とは、後の古墳時代の幕開けを示す纏向型前方後円墳へ変化していく古墳の原型とされる弥生時代日本最大の墳丘墓です。
この遺跡は、世界や日本にとって大切な文化遺産であり、その様な素晴らしい文化遺産があると言う事は岡山県(古代吉備国)の誇りです。
しかし、開発優先の時代に、大切な遺跡の一部が壊されてしまい、残念ながら半世紀が経とうとしております。
この大切な世界、日本の宝を復刻し、ひとりでも多くの方々に「日本に楯築遺跡があってよかった」と言っていただけるよう、楯築遺跡を守り、次世代へ継承するとともに、地域文化の発展にも寄与して参ります。また、この度は「楯築ルネッサンス協議会」として岡山を教育・文化・経済界を代表する皆様にもごご協力いただくこととなりました。提言組織の協議会、実行部隊のルネッサンスとして力を尽くし頑張ってまいりますので、今後とも格別のご支援、ご愛顧を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
河合 智哉
役員・理事の紹介
名誉代表 | 藤井 正 |
代表 | 河合 智哉 |
副代表 | 津曲 真人 |
副代表 | 福本 明 |
副代表 | 岡 將男 |
副代表 | 近重 博義 |
副代表 | 小松原 道郎 |
会計 | 安信 政裕 |
理事 | 楠 敏明 |
理事 | 逢澤 直子 |
理事 | 平田 晴彦 |
理事 | 山﨑 泰二 |
事務局 | 笠井 宏昭 |
監事 |
私達は、楯築遺跡の重要性を知り、給水塔の撤去と削り取られた双方部の復元を実現したいと考えます。
多くの方々のご協力・ご支援をいただきながら、一歩ずつ前へと進めて参ります。
楯築弥生墳丘墓が前方後円墳の前身であったこと、
特殊器台が埴輪へと変遷して行ったこと、
古代吉備が日本の礎を築いたことを広く知っていただきたいと思います。
楯築遺跡の航空写真です。
円丘部の下に何か丸い物が見えます。
残念なことに、この大切な遺跡の上には、団地の給水塔が建っています。
開発優先の時代の悲しい出来事です。
双方部も削り取られています。
これは何とかしないといけませんね。
日本一の弥生墳丘墓をこのまましておいて良いわけがありません。
一日も早く復元して、多くの方が訪れても恥ずかしくないように整備しないといけません。
行政を動かすには、多くの方々の賛同が必要です。
ここを整備することで、岡山にまた観光の目玉が増えるのです。
双方中円墳が前方後円墳へ

双方中円墳から纏向型前方後円墳へ変化して行く。撥型やホタテ貝型を経て、綺麗な箸墓型巨大前方後円墳が完成して行った。

特殊器台が埴輪へ
吉備から、約100器の特殊器台が出土しているが、宮山型は1箇所のみである。
天理市中山大塚古墳と橿原市弁天塚古墳からは、宮山型特殊器台が出土しており、纏向の箸墓古墳と天理市西殿塚古墳から宮山型特殊器台と都月型円筒埴輪が
出土している。
吉備から畿内へと遷都して行ったのであろう。
今も残る弧帯文
弧帯文石に描かれた文様の中の特徴的な巴形は、台湾に伝わる祭祀具のイモガイの断面模様だともされる。
特殊器台に直接文様が描かれるようになり、その後また簡略化される。
纏向からは、木製の弧文円盤が出土しており、その神聖なる文様は、神に通ずる儀式の中で脈々と受け継がれて行く。
現代でも、水引や門松、しめ縄などの神聖な場所に名残を残している。
また、天皇家に伝承される大嘗祭における百子帳の屋根には、南方系の植物を使用するとか . . .